宝生流 (ワキ方) (Hosho School (Waki-kata [supporting actors]))
宝生流(ほうしょうりゅう)は能楽におけるワキ方の流儀の一つ。
シテ方宝生流と区別して下掛宝生流(略して「下宝生」「下宝」または「ワキ宝」)とも呼ぶ。
明治時代以降ワキ方の諸流派が没落していった。
結果、現在では最大流派となっている。
由来
ワキ方五流のうちではもっとも後発である。
徳川綱吉による宝生流優遇策の一環として、春藤流(金春流座付)より出て一家を成した。
このため上掛のシテ方の座付でありながら、金春流の影響を受けた下掛の芸風を残している。
これが「下掛宝生流」という別名の由来となっている。
大名家の庇護を失った明治維新直後には、他のワキ方の例に漏れずきわめて困窮した。
しかし、八世宗家宝生新朔が東京を離れずに演能活動を続けた。
子の宝生新(十世宗家)、女婿宝生弥一・森茂好らが名手として活躍した。
また江戸時代から素謡教授として強固な基盤を持っていた伊予松山藩出身の知識人たち(池内信嘉・高浜虚子)の後援があった。
さらには右のような理由から東京における演能のワキを独占するかたちになった。
これらの事情もあって、現在にいたるまでワキ方につよい勢力を維持するに至っている。
特徴
高浜虚子・河東碧梧桐のほか、夏目漱石などの文人がたしなんだことからもわかるように、素謡教授を熱心に行うことで知られる。
現在ではワキ方で唯一独自の謡本を刊行する流儀である。
芸風は下掛らしい古風さをあまり感じさせず、ワキらしい散文的な表現の傾向を特に強調するところに特色がある。
また謡の流麗さには定評がある。